昭和26年4月  父(敏太郎)と母(フミ)が名寄中央病院を開設し、外科・内科・産婦人科・皮膚科を診療してきました。今年が開院56周年になります。
昭和58年6月  両親の病院運営を助けるために名寄に戻ってきました。整形外科を開設するにあたり、はじめに購入した器械は大学でmicrosurgeryを担当していたこともあり、切断指肢の再接着を行うための手術用顕微鏡と老人に多い大腿骨頚部骨折の手術用透視装置でした。地域のまた開業医の状況も知らないままに購入した器械は高価であり、使用頻度はというとかなり少ないものでした。しかし、そのような患者さんも治療できるということが病院の特徴として必要と考えました。昭和59年2月に道北ではじめて指の再接着を行ってから最初の10年で5例7指を生着させることが出来ました(名寄市立病院医誌第2巻掲載)。その後、最近では再接着手術を行っていません。
昭和61年1月  地域の中でさらに特徴のある病院づくりをしなければなりません。住宅の改築を機会に一階部分を理学療法(リハビリテーション)のスペースとし、自家用車と同じくらいする牽引装置数台をはじめとして理学療法器械を導入しました。本来であれば脳卒中後遺症の患者さんの治療をできるくらいに充実させたいと考えていましたがマンパワーが不足している状態です。
昭和63年10月  父が亡くなってから母に助けられながら院長として病院を運営していくことになりました。
平成元年7月  医療機器の進歩・発展はめざましく、胸部痛を訴える患者さんの診断がつかないときに他医で受けた検査フィルムを見たときにびっくりしました。それはMRI(磁気共鳴イメージング装置)のフィルムで胸髄腫瘍がはっきりと映っていました。聞くところによるとその器械は何億もするというではありませんか。とても当病院では購入不能と思っていました。その後、腰のヘルニアの患者さんの検査を依頼してみたところ、驚くべくはっきりとそのヘルニアが映し出されているではありませんか。本当にショックでした。北海道では14台が稼働していましたが、まだ大学病院にも配置されていないその器械を当院に導入したのは平成元年7月でした。名寄市立病院で配置されたのが3年後、稚内市立病院で配置されたのが4年後でした。
 MRI検査の特徴は磁石を利用した器械のため放射線を浴びませんが、体内に金属の留置されている患者さんでは画像がきれいに映らないことや、ペースメカーの患者さんでは禁忌となります。整形外科では椎間板ヘルニア、脊髄の異常、関節の異常とくに半月板損傷、靱帯損傷、また最近では不顕性骨折(レントゲンでは分からないが骨折)を見つけることが出来ます。さらに、平成11年2月にバージョンアップして頭頚部のMRA(脳血管撮影)が出来るようになり当院でも脳ドックが出来るようになりました。
平成4年2月  レントゲンにも進歩が見られ、デジタル画像処理し、被曝放射線量を減少させ、なおかつ軟部組織や頚椎の側面像が良く読映出来るコンピューターラディオグラフィー(FCR)が開発されました。レントゲン画像診断の向上のため当院では平成4年2月に導入し12年12月に更新しました。
平成6年8月  最近、老人人口の増加から骨粗鬆症が整形外科領域で脚光を浴び、産婦人科でも閉経後や婦人科手術後の骨粗鬆症が問題になってきました。当院ではレントゲンで胸腰椎の状態から骨粗鬆症を診断していましたが、平成6年8月にその年保険適応になったpQCT(末梢骨用定量的CT)という器械を導入しました。現在最も再現性の優れている装置で、前腕骨で測定し、放射線を浴びることもほとんどなく、実際に体積あたりの重量として測定できます。高価な器械のため日本全国では未だに普及状況は良くなく100台前後しか稼働していません。
 データの蓄積が出来、日本骨粗鬆症学会での基準値を決めるデータの約1/4が当院のデータでした。その後、日本整形外科学会、日本骨代謝学会、日本骨形態計測学会、日本手の外科学会、日本骨粗鬆症研究会などで学会発表を行い、その内容を全国誌に2編、市立病院医師誌に5編ほど掲載できました。骨粗鬆症が現在の私のライフワークになっています。
平成11年4月  当院を医療法人社団名寄中央整形外科とダウンサイズしました。この年の8月に母が亡くなり、ちょうど病院の機能を果たせなくなっていたところでした。
平成12年4月  介護保険がはじまり、療養型病床12床を設置し、そのうち介護療養型病床を8床としました。一般病床は7床です。
現在  以前のように病院機能としての入院を継続して行きたいと思います。療養型のお年寄りや、椎間板ヘルニアの保存療法、骨折や腱断裂などの手術を要する方に入院していただいています。

17年4月にMRI装置をOpen typeに更新しました。